ESEブログ

似非SEが書くブログ。

そもそもレールにそって歩いてるという考えがナンセンス

最近どこかの大学生が中退して起業することに対していろんな人からのやっかみが入っていますが、他人の人生なんだからそっとしといてやれよ。いわゆるお節介だよ。

 

どうも、僕です。

 

僕は人生にレールなんかそもそも引かれていないのでは?と思う。誰かがレールを引いてくれている人生なら、みんなもっと生きやすい世の中になるのでは無いでしょうか。自殺者なんか増えないんじゃないでしょうか。

 

本田圭佑ばりの意識の高さでも持ち合わせていない限り、何にも考えずにレールに乗っかることができれば、これほど素晴らしいことはないでしょう。

 

えとみほさんの考えには感銘を受けました。少しだけ引用させて頂くと、

 

「普通になりたくないと思うこと自体がそもそも凡人の発想なんじゃないか」

 

マジこれね。

 

マジ衝撃。マジはんぱねー。

 

なるほど、俺は凡人じゃないんだ、その他大勢と同じ道なんてまっぴらだ、もっときらきらした人生を歩んでやると考えている時点で凡人なんですね。むしろそのように考えれば考える程凡人さを磨いてしまっているのかもしれません。

 

これに気づけてよかったー、少し楽になった気がしますね。なんだろこの感情。

 

3分の1も伝わらないかもしれない。この純情な感情。

上司が変わると世界が変わるって体験

つい先日ですがはてなブックマークのホットエントリにあがっていた下記の記事に激しく賛同出来ました。

 

anond.hatelabo.jp

 

僕自身は社会人2年目ではないのだけれど、未経験でプログラマに転職した時に、それこそミスをすると人格を否定するような上司(PM)の下で働いていました。

 

ミスをするたびに、以下のような罵声を浴びせられたことを鮮明に覚えています。

 

「お前頭弱いんじゃないの?」

「お前なんでこの仕事選んだの?向いてないと思うよ。」

「お前知能指数テストとか受けた方がいいよ?たぶん人より低いと思う。」

「お前は何をやらせてもだめだな」

「この仕事終わらせるまでお前帰れねーから。」

「お前、仕事なめてんの?」

「お前、残業すれば評価されるとでも思ってんの?」

・・・etc

 

まだまだ数え切れないくらいありますが、もういろいろ言われすぎて覚えていません。

 

このような罵声を浴びせられ続けるとどうなるか。

 

ミスをしちゃいけないというプレッシャーがどんどん高まっていき、仕事をしている間はずっと緊張しっぱなし、だから余計にミスを起こしやすい状況になり、結果ミスを起こしてしまう。そしてまた怒られる。この繰り返し。

 

 

まさに負のスパイラル。悪循環。

 

 

本当にうつ病寸前までいきました。毎日深夜2時〜3時頃まで残業し、翌日は9時に出社。平均睡眠時間は4時間もなかったと思います。そんな日々を1ヶ月程続けたと思います。あと一ヶ月続いていたらうつ病になるか、会社を無断欠勤してそのままフェードアウトするか、逆ギレして僕の社会人生活は終わっていたと思います。

 

それくらい追い詰められていました。

 

そのピークの一ヶ月をなんとか乗り切ったあと、怪我の巧妙なのか、脳が麻痺してきていたので、仕事のミスが少し減り、怒られる回数も減りはしました。そんなタイミングでそのプロジェクトの区切りがつき、僕はそのくそ上司の更に上司に進言してプロジェクトを変えてもらいました。

 

それからというもの精神状態は良好です。

 

新しく参画したプロジェクトでは、ミスをしても延々罵声を浴びせるPMはおらず、周りのプロジェクトメンバーも助けてくれます。このような環境になっただけで、僕の仕事上でのミスは明らかに減りました。それどころかそのプロジェクトマネージャは私の仕事ぶりを評価してくれ、気づけば前のプロジェクトでは完全に消えてしまっていたモチベーションと自信さえ復活してきていたのです。

 

 

今はプログラマというよりもSEとしてクライアントとの要件定義をやっており、コードをゴリゴリ書くという状況ではなくなりましたが、この経験は、いま考えると、ある意味で非常に良い経験となりました。(でも経験しなくていいならしない方がいい。)

  

僕に罵声を浴びせ続けた上司も、人格を否定する言動を除けば、的確にミスを指摘してくれていたし、そういった意味ではありがたかった。そこで自分の何が悪いのかをはっきりと把握することが出来たのもまた事実です。だからこそ、次のプロジェクトに行った時にPMに評価していただけたってのもあります。前回の失敗を絶対にしないぞ!っていう意気込みで行ったわけですし。 

 

仕事でミスをした時に、人格を否定するような上司のもとからは出来れば逃げた方がいいと思います。ある程度我慢してみてもいいかもしれませんが、心をやられてしまっては元も子もないですからね。ちなみに私はその時の上司は極力避けるようにしています。だって人間的には嫌いですからね。人間的に嫌いな人に近づくメリットは何もありません。

 

この世の中には、少なからず「自分は仕事が出来ないダメ人間なんだ」と思いこんでいる人がいるのではないかと思います。でもプロジェクトが変わったり、新しい会社に行くと花開くことはおおいにあり得ると思います。

 

思い込みは良くないですよ、ほんとに。

 

ネガティブな思い込みこそが、その人自身をだめにしているのではないかと思います。

 

僕は今、モチベーションを維持しながら仕事を出来ています。毎日罵声を浴びせられるプロジェクトで仕事をしていた時は、「僕は何も出来ない人間だ、なんでこんな簡単なこともできないんだろう、社会人に向いてない、何か知能的な障害があるんだろうか。。。」みたいなことばかり考えていました。

 

でも、今こうしてしっかりと仕事出来ているし評価もされている。

 

マジで、人生何が起こるかわかりませんよ。

 

 

これだけは言えます、「自分はだめな人間だ」という思い込みは捨てるべきだし、人生を諦めてはいけないということを。

親父と考え方が合わない

さて、ここ三日間ほど、お盆ということで夏季休暇を取得し実家に帰省しておりました。久しぶりに両親と会い、いろいろな話をしてきたのですが、1つはっきりしたことは、私は親父と合わないということです。性格的にも、考え的にも、価値観も。人間的に合わないとまでは言いませんが、基本的に親父の考え方には合わないことは、それはもうはっきりくっきり浮き彫りになったわけです。親父はいつまでも親父面をするのです。俺がお前らを育ててやったんだ、感謝しろ。俺が稼いでお前らを育てたからこそ進学もでき、今のお前らがあるんだ。お前らは俺を超えることができるかな?(笑)みたいな。

 

こうゆう考え方の人は基本的に嫌いです。尊敬もできません。

 

親は偉大だなと思っていましたが、流石に俺が稼いでお前らに金を使ったからこそお前らは学校に行けたし、今のお前らがいるんだ的なことを言うような人間は嫌いです。

 

事実、親としての責務は果たしているし、子どもたちのために大学進学などまで学費もろもろ工面をしてくれた。相当なお金を使ってくれただろうし、感謝はしている。

 

が、しかし。

 

それを「やってやったんだぞ」というような上から目線で言われたらば、感謝の念さえも捨て去ってしまいたい衝動に駆られます。

 

いや、頼んでねーし。と。

 

こちらがそうゆうことをあんまり言わないほうがいいのではと、それとなく諭したことはありましたが、全く聞く耳持たず。

 

もう、そんな親父にかける言葉がありません。

 

きっとこれから先も、親には感謝はするだろうけど尊敬をすることはないでしょう。

 

私にできることは、自分がしっかりと子供を育て、子供の進みたい道を応援し、自分の子供が大人になった時には、俺は親父だなんて親父面はしないようにして、素直によく頑張ったなとか、夢に向かって頑張れよとか言ってやりたいと思います。

 

子供の生き方や考え方を、親だからと言って簡単に否定することはあってはならないと思います。

 

私はそう思います。

お盆なのでベタに帰省してみる

今年は11日が休みの日で休みということもあり、12日に有給を取得して連休にしてやりました。私の地元はめちゃくちゃな田舎であり、あるのは山と海という大自然のみです。長らく都会暮らしをしているため、どうしても田舎の何もなさが退屈に思えてしまう。まぁまぁな大人になっても、やっぱりスローライフがいいなぁとは心から思えない自分がそこにいるのである。地元が嫌いなわけじゃないし、田舎を否定しているわけでもないのだが、何か物足りない気がするのは否めない。自分の生まれ育った地元。豊かな自然と澄んだ空気に囲まれて育った。都会に出たあとにわかったが、そのような環境がどれほど貴重でかけがえのないものなのかということを。でも、まだ都会に染まりたいし、遊びたい自分がいる。田舎は好きだが、まだ今は時たま帰るくらいがちょうどいい。いつかは地元に恩返ししたいし、両親にも死ぬほど恩返ししたいと思う。ソフトウェアの業界で働いているので、何かウェブサービスやソフトを通して地元に貢献出来ないかと最近強く思いはじめた。親父が自営をやっているが、私はその後を継げそうにない。親父は継いで欲しそうだが、私はこのWebと近い環境にまだ身を置いていたいという思いがある。しかし、親父と全く同じことをしなくても、何らかの形で親父のあとを継げないだろうかと模索し始めている。田舎とはいえ、インターネットは可能だ。親父がやっているのはハード的な技術職であり、私はソフト的な技術職である。しかし、田舎の牌で仕事をしている側面が強く、その点ではWebやソフトのメリットを最大限に活かしにくい気もしている。何かいい方法はないのだろうか。実家にて、ビールを片手にこんな思いがぐるぐる今の私を巡っている。帰省は自分を見つめなおすいいきっかけになるのかもしれないと思う。そういった意味で、帰省することはすごく自分にとってプラスになると思う。仏様をお迎えし、お送りする。そんな中で本来の自分の考えと出会い、その乖離を認識し、これからどう調整していけばいいのかということに思いを馳せる。ビールがいつもよりうまい。不思議なことに酔っ払いはしない。すごく冷静だ。田舎で虫の音を聞きながら、気持よく眠りにおちることができるだろう。

月曜から飲んできた

今日は月曜日。普段は月曜日の夜から飲んだりしないのだが、悩める後輩を放っておくことができず、思わず飲みに誘った次第である。後輩の話を聞いてみると、どうやら仕事が楽しく無い様子。というか今やっていることが面白いと思えないし、好きではないし、向いてないと思うとのこと。

 

だから私はこうアドバイスした。

 

「楽しく無いなら辞めるのも全然あり。でも俺はここでこれだけはやったったでというを残して辞めたほうがいいよ」と。

 

これは、私自身も常に会社を辞める可能性というのはあるし、選択肢の一つとして用意しているからこそ、後輩にも次につながればいいなと思っての発言だ。まだ20代で若い後輩に後悔のある20代を過ごしてほしくないと思う。

今の仕事をやっていて、少しでも楽しいと思える瞬間がないのなら、すぐにでも辞めるべきだと思う。人生の無駄遣いなので。それがその人のためだし、会社のためでもある。win-winの関係なのだ。辞めるタイミングについては、会社に気を使う必要なんてないと考える。

 

でも、たぶんこの後輩は会社を簡単には辞めることはないだろうと思う。

 

私は「辞めてもいいんですけどね」とか「タイミングが来ればやめます」とか人に相談しているやつはずるずる会社に残ることを知っているからだ。

 

昔の私がそうだったように。

 

ぜひ、彼には後悔のない人生を送って欲しいし、私が彼に伝えた言葉は嘘偽りのない言葉である。

 

私とのサシ飲みで、彼が何か少しでも感じ取ってくれたのなら、嬉しく思うのだが。

仕事したくない気持ち、でもプレッシャーに勝って成長したい気持ち

最近、仕事が憂鬱だ。

正直クライアントと直接やり取りするっていうプレッシャーから逃げたい気持ちでいっぱいだ。

ぶっちゃもうクライアントとのやり取りで失敗することばかり考えてしまい、失敗するくらいなら辞めてしまいと思う程だ。

しかし、ここで辞めて逃げてしまっては成長もないし、失敗から何かを得ることもできない。

こいつ、こんなことも出来ないのか?その失敗はしちゃだめでしょー。

なんて言葉が怖くてたまらない。

だけど、めげない。

成功したら当然それが自分の自信になるのは間違いない。

でも失敗したら失敗したで、なぜ失敗をしたのかがわかり、その失敗を次からしなくなるという意味では成長に繋がる。

どちらにしたってなんらかの成長に繋がるんだからこの機会をみすみす自ら逃すことはもったいない気がする。

 

だから今の仕事から逃げない。この仕事をやり遂げたら辞めてもいいと思うけど。

やめるにしてもここで自信をつけてからにしたい。